人生
時間を留めようとする中年の人
記憶はもはや断片ではなく、これからは連続性を持つようになった
1200日以上続けている日記は、過去の経験や記憶の欠損に気付いたきっかけで始めたもの。日々の記録が過去を再構成し、記憶の整理を助け、日常や夢の詳細を保持する。日記は時間軸の断片から連続へと変化させ、人生の重要な歴史的細部を保持する手助けになる。日常の記録と夢の追跡で、過去を振り返る喜びを満喫できる。
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気がついたら、私は毎日日記をつけることを1200日以上続けていました。
特別な努力を要するわけではなく、ただその日に何をしたか、何を食べたかを記録するだけです。まるで流水帳のようなものです。
日記を書き始めたきっかけは、何年か仕事をしてから過去数年間の経験を振り返った際に、記憶が連続していないことに気付いたからです。
日々の繰り返しの仕事か、あるいは一年中夏のような深圳の感じか、私は「2ヶ月前に何をしていたか」を思い出すのがとても難しく、大きな記憶の空白が現れました。
ギリシャでの魔幻的な出来事のように、多くの魔幻的な事件が発生しましたが、私も次第に細部を忘れ始め、その期間がどんどん曖昧になりました。そして、そのような歴史的大事件の個人的視点からの細部は、とても重要な歴史的細部であると考えています。歴史は大きな出来事だけでなく、無数の普通の人々の経験の細部の総和であることを理解する手助けとなります。
それで日記を書き始めました。
私にとって、忘れることは本当の忘却ではありません。日記を書いた後、たとえ長い時間が経過したとしても、再度読み返すと、その日の大部分の細部を再構成することができます。どうやら、中年になってハードディスクが満杯になったわけではなく、記憶はまだそこにあり、ただ検索に問題が発生しただけのようです。
日記はインデックスのようなもので、記憶を断片的で無秩序なものから連続したものへと変化させます。記憶があると、過去の時間がさりげなく過ぎ去ることなく、毎日が感じ取られるのです。
日常だけでなく、今では夢も覚えている限り記録しています。通常、数時間後には夢の細部を忘れてしまいますが、記録することで、何日も経ってからでも夢の場面を思い出すことができます。
年を取るとこういうもので、よく過去を振り返ることになります。私は何年もの生活の時間軸を失いましたが、これからはそうならないでしょう。
あなたも日記を書き始めることをお勧めします。